休日に一戸建て 堺
「これはあくまでドラマなのだから…」。
それまでの滅私奉公の概念が中心であった日本の企業組織にいる者からすれば、長年勤めた会社をその場でクビにされることは、まず余程のことがない限りあり得ないと断言であった。
も時代の先端を行くように映った。
飛行機の操縦室のようにモニター画面が所狭しと並び、サスペンダーをしたインテリ臭い若者が闇歩し、また行き交うタイトのミーの女性達もさも〃それらしき〃雰囲気があった。
時代の先端を捉えるに機を見て敏な映画界が、金融市場というその当時の〃旬の世界〃を見逃すわけがなかった。
映画という架空の世界であるがゆえに、相場を単なる〃ゲーム〃として捉え、ゲームとして捉えるがゆえにスリルとサスペンスがあるといった展開できた。
だから少なくとも日本においては、映画のなかでの状況はまさに架空のこととして捉えていたのである。
しかしこのような状況は、当時の在日外資系金融機関でも頻繁に起こっていた。
そして「知る人ぞ知る」、金融業界のなかではそのような〃クビ切り〃の尖兵として有名な銀行の一つがバンカース・トラストであった。
バンカース・トラストは、日本債券信用銀行と資本提携する以前には、日本においては業界の人間にしか知られておらず、確かに一般的には馴染みが薄かったと言える。
バンカース・トラストは、日本で言うところの米大手商業銀行である。
設立は一九○三年。
米国第七位の銀行持ち株会社である。
資産総額は一千二百億ドル。
JPMのように有力企業との太いパイプを持たず、Cコープのように厚いリテール(小口取引)基盤もないバンカースの歩んできた歴史は「より高い収益を求めて、よりリスクの高い分野に飛び込んだ」歴史であった。
設立当初は、社名が示すように信託管理などのトラスト業務が主力であった。
一九七○年代には、リテール銀行として二百店舗を構えた。
しかし一九七八年にそのすべてを売却、ホールセール(大口専業)へと生まれ変わった。
そして次の転機は一九九○年代初頭。
デリバティブ(金融派生商品)を中心に自己売買で稼ぐ「巨大ヘッジファンド」の道を選択する。
それからわずか数年、米連邦銀行(FRB)が一九九六年に証券業務規制を緩和したのを機に、今度は「投資銀行」の看板を掲げ始めている。
バンカースは、本音と建前とでは大きく違う。
もはやバンカースには(商業)銀行としての面影はない。
一九九六年度はジャンク債(信用度の低い高利回り債)引き受けなど、独自の投資銀行業務が純利益の半分を占めた。
総資産に対する融資の割合も一三%足らずである。
一九九七年四月にはネーションズバンクから一千三百三十億ドル規模のトラスト業務を買い、安定した信託手数料収入をベースとして「安定志向」に豹変した気配があるものの、根本的な戦略はあくまで「投資」である。
その世界に名高き投資銀行・バンカース・トラストが、なぜ瀕死の日本債券信用銀行と資本提携などする必要があったのであろうか。
そしてその役割がなぜ在日外銀で唯一の預金業務が認められ、邦銀と同じようにネットワーク拡大戦略をとってきたCではなかったのであろうか。
そこで、日本にとって馴染みの深い外国銀行・Cバンクの性格・戦略・日本との歴史などについて検証し、Cが一連の資本提携に組することがいかに必然性があったかについて論述してみたい。
一八年Cバンクオブニューョーク設立I在日外銀という点において日本で一般的に一番浸透しているのはCバンクである、と言うことができる。
なぜなら、日本において唯一預金業務を認められた外国銀行がシティバンクであるからである。
そして最近では、日本で口座を開設すれば、世界の主要国でその国の通貨で引き出すことが可能なマルチマネーロ座に人気が集まっている。
Cバンクは一八年、ニューョークで設立される。
日本への進出は一九○二年、横浜に支店を開設したのが始まりである。
以後の日本における歴史は以下の通りである。
一九九七年三月末現在、日本における支店総数合計一十一店舗、総資産は一兆五千億円、従業員は九百二人となっている。
米国の銀行をタイプ別に分類すれば、次のように大別できる。
@法人を主要顧客とするホールセール型UJPM、バンカース・トラストなどA複数の州にまたがる地域密着型のスーパーリージョナル型Uバンカメリカ、ネーションズバンクなど。
B法人と個人を相手とするフルライン型Uチェースマンハッタンなど。
Cはこのチェースと同じフルライン型(マネーセンターバンク)の代表と言うことができる。
ところでCバンクと似た名前にCコープがある。
どちらも全米一の銀行と紹介されるために、戸惑うことがあるが、CバンクとCコープは実は同じ銀行なのである。
ではなぜ名前が違うのかと言えば、Cコープは持ち株会社であり、その子会社としてCコープの銀行部門を担っているのがCバンクというわけである。
持ち株会社制度は、日本においても今回の金融ビッグバンの目玉として解禁になる予定のものであるが、親会社と子会社を含めたグループ企業全体を一つの会社とみなし、決算もグループ全体の決算(連結決算)を重視する。
つまり子会社は、いわばグループ全体で見た会社(持ち株会社)の一部門という見方をするわけである。
結局Cバンクは、Cコープという持ち株会社の一部門というわけである。
シティコープの傘下にはCバンクのほかに、Cトラスト信託銀行、Cコープ証券会社、Cリース、Cコープ・カードサービスなどがある。
Cバンクは、米銀行界の最大手であり、世界でも有数の銀行として知られているのはご存知のとおりである。
一九九六年に、チェースマンハッタン銀行がケミカルバンキングと合併したために、総資産では新生チェースマンハッタン銀行に抜かれアメリカ第二位Cがほかの米銀と違うところは、海外の新興市場開T路線にある。
有力なグローバル企業(多国籍企業)が進出するのにあわせて新興国に拠点を設置し、為替取引や短期融資を行ないながら知名度を高め、新興国の経済が発展する段階になると、消費者向け取引を一気に拡大するという戦略をとっている。
一九九六年八月現在で、進出した国の数は九十八カ国、このうち五十七カ国で消費者向けの業務を行なっている。
以上、Cと日本の歴史を辿っていくと、いかに戦略面で違いがあるとは言え、一九九七年三月から表面化し始めた日本の金融機関との資本提携問題、本質的には吸収合併の展開ではCが先頭を走るべきであり、そして吸収される側の日本の金融機関にとっても「Cなら」といった多少の安心感があったのも確かである。
それが、なぜバンカースだったのであろうか。
この結論はあとに回すとして、まずは実質的な倒産に至った日本債券信用銀行の一九九七年初頭から三月決算期に至る経緯を辿ってみたい。
日本債券信用銀行が実質的な破産を発表するのは、一九九七年三月期決算も迫った三月二十六日である。
名目は海外営業拠点からの全面撤退であった。
海外から全面撤退をして、自己資本比率規制の緩くなる国内専業の大手銀行としての生き残りを目指す旨が発表され、再建策は二段階で以下のように実施するとされた。
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